2007年01月23日(火)

ビートルズ生演奏のバーの経営者に有罪判決

ビートルズ生演奏で著作権軽視、バー経営者に有罪(YOMIURI ONLINE)

まぁ法律を普通に解釈すれば彼のやったことは犯罪だし、JASRACもいきなり刑事告訴という形を取る前に何度も警告なり交渉なりしていただろうから、この判決自体は妥当なんだろう。

でもなぁ。

彼がやったことで一体誰が傷ついたんだろうかね。音楽の裾野を広げるという意味では彼も間違いなく「貢献者」の一人だっただろうし、音楽が好きで広めたことによるポジティブな効果だってきっとあったはずだ。

ポジティブな効果があったかもしれないから犯罪を免責しろって言いたいわけじゃないよ。どうしようもなかったのかもしれないけど、それでもまだ「やり方」があったんじゃないかって俺は思う。刑事事件としてこれをやった以上(いくらそれに妥当性があっても)「見せしめ」と言われても仕方ないんじゃないか。

ルールは重要だし、正当な徴収分配がなければ著作者は食べていけない。でも、今この時代にJASRACの「取りやすいところから取る」(と見られても仕方ない)徴収システムをそのまま残しておけば、こういう「著作権者」と「利用者」の軋轢は増えていく一方だろう。そんな軋轢が増えることが「コンテンツ振興になる」なんて俺はまったく思えない。そしてそんなときいつも「著作者」は蚊帳の外だ。

でもまぁ、なかなかこういうシステムは変わらない。だから、こういう事件に対して怒りを覚える人はJASRACが本気で「焦る」ように、怒りを露わにしていけばいいんじゃないかな。

ただ、怒りを伝えるにしても、やり方は重要だ。伝わらない言葉だけずらずら並べたって伝わらなきゃしょーがない。ネットで「カスラック氏ねよ」とか言ってガス抜きするんじゃなくて、怒った人がもうちょっと言葉を尽くして自分の考えをきちんとエントリにしてみたらどうかな。それだけでちょっとずつではあっても風向きは変わっていくと俺は思う。言葉を尽くしたエントリを書く人は権利者側からも「音楽愛好家で、著作物の利用者」として認識されるわけだからね(これは掛け値なしにそう思うよ、俺は)。まずプレーヤーとして壇上に上がらなければ議論なんかできないわけで。そして、プレーヤーになるための敷居は昔と比べれば圧倒的に低くなっている。

音楽は人に聴かれてはじめていろいろな人に伝わっていくものだ。ジョン・レノンが生きていたら、自分の奥さんを輩出した国の片隅で今もピアノで自分の曲が演奏されていることをどう思っただろうか。そのことを考えるのって決して無意味な仮定ではないと思うんだけどどうかな。

まぁコツコツやるしかないですね。著作権の問題は難しい。

| 著作権 | この記事のURI | Posted at 04時42分 |

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