2007年07月25日(水)

A Nation of Thieves? - 盗人国民?

以下の記事は2002年当時のPrince(プリンス)の公式サイトNPG MUSIC CLUBに掲載された論文の翻訳です。記事の原文はInternet Archiveで読むことができます。記事の著作権はPrince本人とNPG MUSIC CLUBに帰属します。記事を許可なく転載することを禁止いたします(弊サイトはNPG MUSIC CLUBより当該記事の翻訳転載許可を頂いております)。

ここに掲載する翻訳はairhead氏によるものです。氏のサイトには原文と訳文、そして翻訳時の覚書が掲載されています。より理解を深めたい方はそちらの方を読まれることもオススメします。

A Nation of Thieves?
盗人国民?


21世紀にたどり着こうというころ、あることが起こった。メディア/エンターテイメント企業は「一極集中」「株主利益」を、これまでかろうじて重要としてきた顧客サービスや従業員尊重よりもはるかに重要なものとと捉えるようになった。企業の重役たちが受け取る報酬パッケージは天にも届かんばかりだが、その一方で、彼らに企業業績の責任を取らせることはほとんど不可能になっている。

人々は気づいていないと彼ら重役たちが考えているとしたら、その認識の甘さは相当なものだ。

そのあることについて人々は、問題なしとはいえない――実のところ大問題であると気づいている。この10年間で株式市場は、法的にも道理的にも適正な投資形態として外見上の信用を集めてきたが、最近になって発覚した数多くの巨大企業スキャンダルは、そこがこれまでと何ら変わらない、ノイローゼ気味の幼稚なギャンブラーたちが快楽を貪る病んだ場所であるということを明らかにしている。その後ろだてとされているのは無数の「名もなき」労働者や個人であり、必死に稼いだ老後の蓄えに何が起ころうとも彼らにはどうすることもできないのだ。

そこは企業の重役のほとんどが、彼らの製品やサービスの生産に携わる実際の人々についてよりもはるかに注目すべきと感じている場所でもある。何千人もの従業員の運命が毎日、目まぐるしく変わる無意味な数字やチャートの羅列を映すコンピュータの画面とにらっめっこをしている人たちの手に握られている場所である。そしてもし、ある企業が収支を好転させて「株主利益」を拡大するために「リストラ」を行っていると発表したばかりで、あなたがその株を個人的に取得することができたとしても、甘い考えは捨てた方がいい。その企業が「株主」と言う場合、それはあなたや、あなたが持つたった数千株について言われているのではない。そこで言われているのは大株主、すなわち市場価値のより重大な部分を保有している別の企業に他ならない。

そこは「敵対的買収」や政府承認の「合併」が多国籍規模の、生き残った重役たちのさらなる力の行使という果てしない循環を煽っている世界である。「World Company社」やジョージ・オーウェルの『1984』が風刺や作り話ではすまなくなり、次第に私たちの目前に姿を現しつつある、非常に現実的な「新しい世界秩序」についての予言的な記述と捉えられるようになるのも時間の問題だろう。


A Little History - 小史

まずは簡単なリストから始めることにしよう:America Online, 『Time』, 『Life』, Warner Bros., 『Fortune』, Elektra, 『Sports Illustrated』, HBO, Turner Broadcasting, CNN, Cinemax, 『Entertainment Weekly』, New Line Cinema, 『In Style』, Warner/Chappell Music, Time Warner Cable, WBN, ICQ, Warner Music Group, Netscape, People, Reprise, Rhino, Atlantic, WEA, TNT, MapQuest, WinAmp, In Demand, Erato, Moviefone, Road Runnerなど。 これらはすべて、同じ巨大企業に所有されている(AOL Time Warner)。

もう一つ見てみよう:Universal Music Group, Verve, Nathan, Canal+, Impulse!, Cegetel, USA Networks, Decca, Interscope, Geffen, A&M, Barclay, Armand Colin, 『L'Express』, Universal Studios, Larousse, Sierra, MP3.com, MCA Records, Deutsche Grammophon, Cineplexなど。 これらはすべて、同じ巨大企業に所有されている(Vivendi Universal)。

さらにもう一つ:Disney, ABC, ESPN, Hyperion, Miramax, Touchstone, Hollywood Pictures, A&E, The History Channel, E! Entertainment, RTL-2, Buena Vista, Mr. Showbiz, Wall of Sound, Mammoth Recordsなど。 これらはすべて、同じ巨大企業に所有されている(Walt Disney)。

この説明で足りないというのなら、あなた自身の目で確かめていただきたい…… 既に巨大企業の数はすべて合わせてもたったの7つ――これがもっと少なくなるまでに、どれほど時間がかかるというのだろう?

そもそもの始まりは、罪がないといっていいものだった。20世紀初頭の若き興行主たちは企業を設立するにあたって、創作における野心と商売における目利きとを融合させていたものだ。その後それらの企業が成長するにしたがって、誕生時に興行主的ビジョンを掲げていたあらゆるものが希薄になってゆき、時代遅れのものとなっていった。さらに、企業の会計係が他の企業の合併や買収を提案するようになった――そしてすっかり、現実社会で行われるモノポリーゲームになってしまった。

インターネットや「ニューテクノロジー」が登場すると、会計係は次なるビッグアイデアとして一極集中を掲げた――すなわち、「コンテンツ」プロバイダと「アクセス」プロバイダとを統合して「文化的製品」を出発点から完全にコントロールし、疑うことを知らない大衆による製品消費量を最大限にしようというのだ。


The Art of Manipulation - 操縦術

その過程で何が失われるかについては、想像に難くない…… 創造性。芸術性。独自性。批評の客観性。コントロールに縛られないアクセス。文化の垣根を「打ち破る」能力。文化の多様性。革新。自由。真の音楽。真の芸術。

芸術と商業のバランスを取って両立させるというのは、条件が整っていても細心の注意が必要となる…… そして、現在条件が整っていないということは明らかだ。

最近、10ページ・フルカラー見開きで最新の大作映画について「レポートする」雑誌と称するものがある――レポーター氏は、その映画の製作会社が彼の所属する雑誌も所有していることに気づかないでいるかのようだ…… よろしい、これはなおも「雑誌」と称するものだ。彼らはなおも「レポーター」と称するものだ。そしてこれはなおも「ジャーナリズム」と称するものだ…… それでも、何百万という人々が行っているのは、自ら大喜びで捕捉されようとすることなのだ。

そうであれば、私たちがこれを「芸術」と呼ぶことは止めるべきだし、「娯楽」と呼ぶことさえもおかしいのではないか? 集団催眠に巻き込まれることの何が楽しいのだろう? 私たちはこれを実際の在り様、つまり、手枷まではされていない操縦術とでも呼ぶべきではないのか?

1995年当時、Clear Channel Communicationsは43のラジオ局を所有していた。その数は現在1,200以上になっている――そしてその「独立プロモーター」などと呼ばれている部隊は合法的賄賂を駆使して、ラジオで何が聴けるかを(あるいはむしろ、何が聴けないかを)決定付けようとしている。

どこを見回してみても、話は変わらない。さらに多くの金、さらに少ない選択、さらに少ない自由、さらに少ない企業。人々が大きく姿勢転換してこの商業的不遜を自滅や崩壊に仕向けるまで、どれだけこの状況が続くのだろうか?


Power Struggles - 勢力争い

もちろんこの高度集中化された企業世界の大きな亀裂、その最初のものは既に現れはじめていて、過去数ヶ月の間にヘッドラインを飾ったりした。すなわち、世界でもっとも強大な国の経済を揺さぶれる程の途方もない金額が関係するずさんな会計業務がそれだ。当然ながらヒステリー気味の株式市場はこのニュースを受けて揺さぶられ、それによって保有する株が上昇すると信じて疑わなかった数万人に上る世界中の労働者たちや無数の個人投資家たちが犠牲になった。

現在AOL Time Warnerの株価はAOLとTime Warnerが合併した当時の1/4になっていて、この下落は今年の初め同社に540億ドルの評価損を計上させることとなった。そして現在、この会計業務もまた捜査の対象になっている。Vivendi Universalにまつわる話も同様だ。Disneyのシェアは8年前の水準にまで落ち込んでいる。そして人々は、どこでも問題は同じと確信するにいたっている。日々の労働のリアリティや人間の創造性の本質といったものとは完全にかけ離れたものになってしまった大コングロマリットならどこでも問題は同じ、ということだ。

それに加えて人々は、多国籍の怪物を規制することになっても政府には力が――あればの話だが――ほとんど残されていない、ということについてもよく理解している。遵法精神を持つ一般市民を規制する場合においては、政府はずっと大きな力を持っている――彼らはその力を、コングロマリットによるコントロールの大きさから人々の注目をそらす目的で使用/濫用しており、そのコントロールは、私たちが何を聴くことができるか、さらには見る、読む、食べる、飲む、買う、その他の「自由」市民の一般的経験として世界的に通ずる行動、そういったことに及んでいるのだ。

この争いをもっとも強く感じ取れる分野の一つは、いうまでもなくオンラインの世界――いまだ幼年期にありながらもここ10年での爆発的成長はすべての人に衝撃を与えた、無秩序に広がりつつある無政府的コミュニティ――だろう。そして、大きな物議を醸している「ピアツーピア」ファイル共有問題とそこから派生するデジタル諸問題以上に、政府、大企業、個人の権利、この3つの間の争いを典型的に示すものはないだろう。


A Nation of Thieves? - 盗人国民?

メディア/テクノロジーの巨人たちは、最近の株式市場の低迷から立ち直るだろうか? おそらくは立ち直るだろう――しかしそれは、どんなコストのもとに? ほとんど間違いなくそのコストは、それら企業の従業員や顧客に対してこれまで以上に根深い疎外感を与えることになる、さらなる「リストラ」、さらなるレイオフ、さらなる重役の入れ替えとそれに伴う破格の退職手当という形をとるだろう。そしてこれは周りまわって、彼らが違法であると主張し刑法で罰すことを望んでいる行動そのものをさらに活気づけることになるだろう――彼らが保有しているわけでもない資本の泥沼に不用意にはまり続けることについて、彼ら自身の刑事免責が守られている限りずっと。

Napsterは破綻し、インターネット小史のなかの一章として幕を閉じることになるだろうが、まったく正反対に、その死はピアツーピア(P2P)ファイル共有の衰退を反映するものには決してならない。むしろ、P2Pはさらに成長している――完全分散型に向かいつつあることによって、その重大性を量るのは容易ではないが

しかしながら、P2Pが音楽製作に実質的な不利益をもたらすということについてレコード業界は、数多くの反論もむなしくアーティストの努力という意味でも商業活動という意味でさえも証明できていない、ということは確実にいえる。たとえば、音楽CDの売上はNapsterが最高潮にあったころ実際に増加し、Napsterが突然閉鎖されたに減少した、ということは記憶に留めておくといいだろう。ファイル共有はレコード産業に損害を与えている「はずだ」と考えるエコノミストたちが、起こってもいないことを言い立てて疑念を表明していようとも。

さらに重要なことは、大いに尊敬を集めている多くのアーティストが企業の拝金主義に反対するインターネットユーザー側の立場を取り、新たな道を切り開く目的で実際にインターネットを活用している、ということだ。それによって彼らは捕らわれの身でない合法的なオーディエンス、つまり真の音楽愛好家に向かって彼らの音楽を配布し、手を差し伸べるようとしている。

もちろんこれは、ファイル共有のあらゆる形態が等しく無害だ、ということを意味しない。人々がインターネットをラジオの代用品、すなわち未知の音楽を発見する手段として使うのなら、アーティストの作品をプロモートすることに役立つ可能性があるのは間違いないだろう。しかし、曲をインターネットからダウンロードし、その複製CD-Rを作成して、校庭で5ドルで売りさばく幼い中学生がいるというなら、それはオリジナルCDの売上に損害を与えるし、アーティストに対して失礼というものだ――レコード業界にいるすべての重役や中間業者が取り分を取ったあとでアーティストが実際に受け取るCD実売価格の一部がいかに小さいか、そういったことを抜きにすればの話だが。

しかし本当に、芸術の真価を認識しようとしない「盗人国民」を生みだすことにデジタルテクノロジーが荷担している、とまで言いきれるものなのだろうか?


Protecting the Product - 製品保護

まず、レコード業界自体が芸術の真価の認識について筆頭に上げられるには程遠い、ということは注目に値する。それどころか業界は一貫して、多くのアーティストから彼らのもっとも基本的な権利を奪うことができるように奮闘してきた。業界は、ポピュラー・アーティストがアルバムを何百万も売ろうとも破産するような状況を許していた。業界はアルバム売上からのアーティストの取り分を、売上による実際の利益のばかばかしく小さい割合に抑えてきた。業界は一貫して、真の音楽芸術性を犠牲にして商業的音楽製品を推し進めてきた。

これではレコード業界に、芸術の真価を認識することについて説教する資格があるとはいえない。

また、業界の巨人たちの一番の関心事であると思われる文化製品とは既にもっとも人気を博しているものであり、コピー保護がなされているか否かに関わらず数百万枚売れるであろうアイテムを中心にCDコピー保護が試験的に使用されている、ということに注目しても面白いだろう。

一方で、ほとんどの市民が本当に、芸術の価値や作品に対しての適切な対価をアーティストに支払う必要といったことついてまったく関心を払っていないのだろうか? これまで言及してきたが、もう一度言おう――デジタルテクノロジーおよびP2Pファイル共有の台頭は、人々が持っている芸術やアーティストへの本質的な敬意とはほとんど関係がない。それは実に、本物の芸術やアーティストへの敬意を犠牲にしてより商業的で高利益の製品を一貫して推し進めてきた、巨大産業コングロマリットのシニカルな態度に関係するものなのだ。

人気TV番組の最新話やポップスのヒット曲をデジタルコピーできなくするだけの後ろめたさを人々が感じていないのなら、それはまさに、業界の巨人たちがそれら作品の実際の芸術的価値をほとんど、あるいはまったく考慮することなく純粋な商業製品に仕立てあげることに成功したことによるものだ。それはまさに、それら企業が芸術作品を犠牲にして商業製品を一貫して推し進めてきたことによるものだ。

実際の芸術作品は、このとてつもなく利益最優先の業界の亀裂から今もなんとか染み出てきてはいるが、そのことは、これまで業界を突き動かしてきて今なお突き動かし、これまで以上にのものとなっている基本的公式に何ら影響を及ぼさない。すなわち、芸術=金、アーティスト=金儲けの種、芸術愛好家=消費者という公式だ。

芸術形態の一つとして業界に評価されている音楽がいかに少ないか、その簡単な例を挙げよう。過去録音されて現在入手できる音楽は20%ほどでしかないと見積もられている――そしてその20%のうち、音楽愛好家が実際に容易に入手できる割合はどれほどになるだろう? SoundScanのアルバム・チャートで現在トップ100に入っていないものの割合はどれほどになるだろう?

芸術愛好家の本能的な反応とは(それが音楽、TV番組、映画あるいは他の形態であれ)、業界が彼/彼女を芸術の価値がわかる人として敬意を払わなければ、彼/彼女が業界を芸術の調達人として敬意を払う理由なんてない、そういったものであるとしか見えない。文化的製品とやらをデジタルコピーすることで多くの人々が露呈しているのは彼らの、芸術やアーティストに対する敬意の欠如ではない。芸術制作者と芸術愛好家の両方を犠牲にして芸術から利益を得るエンターテイメント業界のやり方に対して彼らが持っている――意識的な、あるいは無意識の――不満なのだ。

エンターテイメント業界は、製品をくだらない低レベルのものにすること、アーティストを搾取すること、利益最優先の選択や決定をすること、現実社会の一般的な人々とかけ離れた不愉快な補償金と法的な免責を彼らの同類に与えること、そういったことを行って徐々に自身をシニカルに変えてきた。業界の商業製品の消費者は、それと同じようにシニカルになっているだけなのだ。


Don't Get It Twisted - ごまかされるな

とはいうものの、産業コングロマリットにとってファイル共有とデジタル海賊行為の全体議論はとりわけ、彼らのいかがわしい商慣習と不審な協調関係から注意をそらすのに好都合な方法だ。

たとえば、Warner Music Groupはレコード業界の海賊行為撲滅運動に深く関わっているが、その親会社AOL Time Warnerは、世界中の無数のインターネットユーザーが利用するインターネットアクセスのプロバイダとしてファイル共有から直接収益をあげている、ということは注目に価する。AOL Time Warnerは、増えつづける会員の数(3400万でなおも増加中)と会員たちがオンラインで過ごす途方もない時間を繰り返し誇示しているが、そうであるなら、その成長の大部分がレコーディングアーティストに損害を与えるコンピューターファイルの「非合法な」交換に関係している、という疑念はないのだろうか?

言い換えれば、現在批難されている人たちが真の「盗人」であるとは限らない…… 現在の状況は私たちには、「盗人の国民」というよりも「盗人の選りすぐり」というほうがよほど近いように見える。

そしてこの窃盗の実際の犠牲者は例のごとく、レコーディングアーティスト自身に他ならない。AOLがインターネットアクセスプロバイダとして上げる利益から、彼らが分け前を受け取ることは決してない。それら利益の一部はもともと彼らが提供したコンテントにもとづくものであるのに関わらず。そして、実際の犠牲者には真の音楽愛好家も含まれる。探求したいと思う音楽の全範囲にアクセスすることについて彼らは既に制限を受けており、さらに技術的制限を受けようともしている。その技術的制限のもとでは、合法的に購入した作品の正当なコピーを個人で楽しむ目的で作成することも程なくできなくなるだろう。

間違えてはいけない。(TV、映画、音楽を含む)エンターテイメント業界は巨大かもしれないが、テクノロジー業界はさらに巨大なのだ。思い起こして欲しい。Time Warnerを買収したのはAOLであってその逆ではない、ということを。Sonyが電気・コンピュータ機器で上げる収益はレコード売上によるものよりはるかに大きい、ということを……。

もしテクノロジー業界が、購入物を合法的に楽しむことからユーザーを阻むような技術的制限措置を――懸念されているとおりに――実施するようなことになれば、その受益者となるのは、措置によって作品が「保護される」といわれているアーティストではないだろう。また間違いなくそれは、措置によって芸術の享受が制限される音楽愛好家ではないだろう。そうではなく単に、またもや……産業コングロマリットが享受者となるのだろう。そのとき彼らは、互換性のない次世代メディアやデバイスを用意して「技術の進歩」の名のもとに私たちに売りつけることだろう。


Conclusion - 結論

テクノロジー/エンターテイメント業界は、一晩での変化を期待するにはとにかく巨大すぎる。業界の巨人たちは、海賊行為を可能にするテクノロジーそのものの導入を顧客に勧める一方で、自身の悪行から人々の注意をそらして減益と商業的失敗の責任を海賊行為に押し付けることに尽力しつづけるだろう。非現実的な約束や、大きな数字とたくさんの細かい文字で埋めつくされた契約に幻惑されるアーティストも後を絶たないだろう。

しかしながら、実績のあるアーティストの大多数がシステムと完全に手を切ることは芸術/商業の両面において得策だと気づくまでに、どれほど時間がかかるというのだろう? 芸術家を志す若者の大多数がシステムの隷属的側面を認識するようになって入念な事前注意を受けなくとも注意深くふるまうまでに、どれほど時間がかかるというのだろう? そして、芸術愛好家の大多数が団結して上に挙げたようなアーティストたちに実際の、価値ある、合法的な、本当に熱心な、これまでとは違うオーディエンスを送り届け、芸術について見当外れの現在のシステムへの奉仕プロセスに終わりを告げるまでに、どれほど時間がかかるというのだろう?

それはすべて、私たちの手に――そしてあなたたちの手に委ねられている。

| 音楽業界全般 | この記事のURI | Posted at 04時38分 |

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