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  • 音楽配信メモの更新は終了しました(2002.1.11〜2014.8.23)。

ナタリーってこうなってたのか 表紙

ナタリーってこうなってたのか

大山卓也 著 / 双葉社

ISBN:978-4575307009 / 版型:18.2×12×1.2cm
ページ数:184ページ / 定価:1080円(税込)

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2006年04月24日(月)

『「CD売上回復!」というストーリーを作りたいレコード会社たち』は悪質な印象操作だ について

ということでこちらのはてなダイヤリーの記事は、僕が書いた自作自演記事でした(音ハメだけ見てる方は分からないと思いますが、この週末こんな騒動があったのです)。思ったより即座にアクセスが伸びたので「旬」の内にネタばらしをしておきます。このまま何も説明しないのも不誠実だと思うのでなぜあの記事を書いたのか、背景を説明しておきましょう。


●前提
直接インスパイアされた記事は小寺信良さんが書かれた下記2つの記事です。このエントリーを読む場合、ちょっと長いですがまずこの2つのエントリーを熟読してください。その方がいろいろと考えるものが出てくると思います。

ブログにおける情報の重さ(ITmedia)
情報過多が作り出す「Level1飛空艇」症候群(ITmedia)


●動機と目的
以下の5つです。

「CD売上回復!」というストーリーを作りたいレコード会社たちを書いて、割といろいろなサイトで取り上げてもらって、反応とか見てたんですけど割とみんな好意的というか、納得、その通りみたいな意見がほとんどだったので、それに対して「結構偏った(意図的に偏らせて書いた)記事なのに、否定的な反応がないなー。ちょっとヤバいんじゃね?」と思ったので、カウンターが必要だと思った(その意味では、元々のエントリーを書いた時点ではこうしたちゃぶ台返し的なことをすることは一切想定していない)。

id:fromdusktildawnさんがはてなダイヤリーでやってることが面白そうだったので俺もやりたいと思った。しかしもちろん彼と俺ではたぶん本音をどう混じらせるかのスタンスは違うと思うので、これはあくまできっかけの1つでしかない。

・ウェブ界隈だとよく「メディアリテラシー」だとか「ポジショントーク」だとか、そういうものでよく語られがちですが、そういう言葉使うことで逆に思考停止に陥っちゃう人が散見されるのでそういうものに対して考えるきっかけがあるといいなと思った。

・まったく無名なブログが一切宣伝活動なしに有名になっていくというのは、昔は難しかったが今ははてなブックマークで3〜4人がクリップすればあとは表舞台に立つことができる。そこで注目されている記事に対して違う視点からケンカを売ったら宣伝なしでどれだけの速度で注目されるのか実験したかった。

・音ハメであの文章を書いた際に当然のことながら、いろいろな視点や考え方は自分の中にあって、それは実ははてなのサブアカで書いたことも含まれている。だが、その上であえていろいろなものを省いてわかりやすくしてエントリーとして出しているのだが、その一方でいろいろ分析できる能力や、音楽業界の事情などもある程度わかっているんですよというバランス感覚(笑)を読者の人に提示したかった。


●ブログ名について
この一覧の「このエントリーを含む日記」で拾いやすくするには、ブログ名に力がある方がいいと思いました。そこではてな界隈の人が好きな話題の「メディアリテラシー」を含むタイトルにしました。

otsuneさんがコメント欄で「もしタイトル通りメディアリテラシーの啓蒙という意味で記事を書いたのなら「はぁ? それはメタ視点のギャグですか?」という気もする」と指摘してくださいましたが、まさにその通り。さすがですね。


●作成者のプロフィールについて
「某シンクタンクでコンテンツ系の研究員をやっています」というのは、まぁ当然のことながら完全なネタです。ただ、俺自身は昨年「デジタルコンテンツ白書」の音楽業界の現状分析を一切煽りなしで書いたりもしているので、事実関係の指摘、認識などでそこそこの説得力は持たせることはできるだろうとは思っていました。まぁ、実際には最後無駄な煽りが増えて台無しになっちゃいましたが。

あとはプロフィールを一切記入しないで文章だけ書くよりも、プロフィールで「シンクタンクの研究員」と書くことで「この人の書くことに説得力がある」と思っちゃう人がどれだけいるのか確認するという意味ですね。またはポジショントークと書かれたことの関連性ということを考える、まさに「メディアリテラシー」を読者の人に突きつける意味でも、こういうプロフィールにしてみました。ここのところでもうちょっと早く「ネタ」だと気づいてくれる人がいたら良かったなーと思います。


●書いた内容について
基本的に音楽配信メモで書くことは、いろいろ計算尽くで書かれたものではありますが、7〜8割は俺個人の「本音」と思っていただいて結構です。

はてなの方で書いたことにどこまで本音が混じっているのかということはあえて伏せておきます。ただ、一言言っておくとはてなに書いたことで「津田氏」に対して思ったことはまったくのネタではなく、あそこに書いたことで本音が「ゼロ」ということはありません。そういうものを読者の人がそれぞれ想像していただくことが「メディアリテラシー」につながるのだと思います。

そして、音ハメに書いたこと、はてなに書いたことでこの問題に対する全ての事象をフォローしたわけでもありません。両方から僕の意思で意図的に省かれた「事実」もあります。

書く際に気をつけたのは、俺が普段書いている感じをできるだけ削ることです。otsuneさんに代表されるモヒカンの人たちや、徳保さんの書き方を参考にしたのですが、書いている内に俺自身が持っている天然の煽り体質がどんどん出てきてしまって、最後の方は冷静さを失い、かなり津田大介をDISる内容になってしまいました。その点はちょっと反省しています。

というか書いてる内にDISる方が面白くなってきちゃってさぁ! あいつの書いてること、書いてることは正論だけど書き方が腹立つんだよね(笑) まぁ冗談はさておき、最後まで冷静に突っ込んでいれば良かったのかもしれませんが、結果的に「洗脳合戦」のコントラストがはっきりした方がメディアリテラシーを理解する上では良かったのかもとか思ってます。

(追記)
はてブだとこのエントリに対して「ネタ」というタグがたくさん付けられてますが、これは「ネタ」ではありません。元記事、はてな、そしてこのエントリの3つ、小寺さんの記事2つ、それらプラス一連の記事に対するさまざまな反応全てをひっくるめて「1つのコンテンツ」なのです。ただ、こういうことは何度もやっても意味がないと思うので、「以後二度とこのような狂言はやらない」と宣言しておきます。



●コメント欄に対するお返事
>taroさん
「DRMの水準を緩くすることは当然のことながら違法コピーが増え、音楽CDの販売機会を失うことにつながりかねない」というのは、恐らくまだきちんと答えが出ていない問題です。調査会社などが行う調査結果でもまったく正反対の結果が出たこともありますし、DRMゆるめたことで短期的に見て回復したことが長期的に見ると落ち込んだ原因になった。またはそれとは逆の現象が起きることもあるでしょう。僕個人としては「DRMを必要以上にかけすぎれば消費者は(そのコンテンツに何らかのオルタナティブがある限り)、そうしたコンテンツにそっぽを向いてしまう」という考えはあります。もちろん「必要以上」の水準がどこなのか、というのは議論の余地がたくさん残されており、その議論を僕は今まで以上に進めるべきだと考えてます。

>ACDCさん
おっしゃる通りです。これこそがメディアリテラシーですね。

>jiroさん
僕は「音楽ライター」を「自称」したことは今まで一度もありません。音楽雑誌に書いたことはありますが。そもそもIT出版の世界から来た人間ですし。

「ネットウォッチ系のヲタ」という評価は個人の感覚なので甘んじてお受けしますが、「これまでにも、検証や裏づけなしに書いたエントリーで、何度問題を起こした」という事例が本人的には心当たりがないので、具体例を書いていただけると助かります。具体例書いていただくことでこれを読んだ人のメディアリテラシーも高まるでしょうし。

>otsuneさん
内容的には完全に見透かされていましたね。「後日「この前のはメディアリテラシーの重要性を訴える為の釣り記事でした」とネタバレするつもりでしたらゴメンナサイ」というコメントがなかったら、もうちょっとこのネタ寝かせておいたかもしれません。otsuneさんは「「実は私のこの記事もレッテルを貼っています。blogで書いてある事を鵜呑みにしないで自分で考えましょう」ぐらいのオチが欲しいところ。」とお書きになりましたが、このオチはotsuneさん的には満足行くものだったでしょうか。

>あほかさん
炎上は確かに見ていて楽しいですけど、炎上ばかり見てると冷静にコンテンツを見られる目を失うかもしれませんよ。

> Seymourさん
「メタ的な構造で読者に「考えさせる」ことはギャグでもなんでもなく有効な手段だと思いますが、そういう人に対してはそもそもメディアリテラシーを説く必要がないでしょうね。難しいなあ」というご指摘はとても的確ですね。そういう意味では僕もちょっと諦めている部分ありますし、散々昔からはてなブックマークのコメント一覧を非難していたんですけど、もう最近は「これはこれでアリだ」と肯定的な立場になるようになりました。今回のことは僕にとって意味があるかどうかという価値判断で動いてます。

>ECHIGOYAさん
レコード会社の中にいる人で「iPodが売れて業界が活性化すればその分コピーによる損失が増える」と考えている人は少なくないですよ。また、日本の場合、欧米とは違いCDレンタルの制度もある分、損失ということも考えなければならないでしょう。もちろんCDレンタルは合法的なサービスですが、通常売られているCDと比べて、私的複製前提のレンタル代がCDリッピングで簡便かつ大量に行える現状が90年代後半から生まれてきたときに、果たして現在の「価格」「著作権利用料」で適正なのかという問題は横たわっています。

>inumashさん
コメント、エントリーともにありがとうございます。消費者の考えもコンテンツ側が見る必要がある、というのはまったくもって正しいと思いますが、しかし消費者に対してどこまで譲歩すればいいのか、ということがコンテンツ側にとってなかなかわかりにくい世の中になっているのでは、と僕なんかは思います。このエントリーに対してリンクして付けられている様々なコメントを見て僕はその思いを強くしました。

そして、音楽CDについて下げ止まりが来ているのは客観的な事実として存在しています。日本レコード協会のデータはインディーズは含まれていませんが、昨年はDef Techのアルバムがミリオンを突破しました。もし、そうしたインディーズの数字を含めていれば2005年で切っても数字は「回復」してたかもしれませんね。それに加えて着うた、iTMS以降音楽配信サービスは伸びてますから、全体的な音楽マーケットは拡大しつつある転換期に入ったと僕は思います。が、もちろん音楽ビジネスは多分に水物的要素を含んでいます。これ以上消費者を敵に回すようなことをしたら自滅していく可能性は十分ありますし、ロングテールと直結するコアユーザーの存在を音楽業界がどう見ているかでしょうね。


●付録
僕の考えを多分一番正直に綴ったものは2004年秋に出した拙著『だれが「音楽」を殺すのか?』のあとがきだと思ってます。この本、結局1回増刷しただけで普通の本屋さんだとなかなか買えなくなっているので、とりあえずあとがきだけ転載しておこうと思います。あとがき読んで興味持った方がおられましたらぜひAmazonで買ってください

●『だれが「音楽」を殺すのか?』 あとがき
本書は「音楽配信メモ」という自分のサイトに書いた記事や、雑誌記事の取材で音楽業界関係者に聞いた事実、仲良くなった音楽業界関係者から聞いた裏話、インターネット上から拾ってきた情報など、さまざまなものをミックスして作ったものだ。

偉そうにいろいろなことを書いているが、実はあまり自分の意見にこだわりがあるわけではなかったりする。「現状のCCCDは絶対に認められない」とか「日本でも聴き放題型の音楽配信始めろ」とかそういう譲れない部分以外は、読んでくださった人がどういう感想を持とうが知ったこっちゃないという感じだ。

というのも、この本を発売した主な目的は「音楽業界に対する俺の意見を聞いてくれ!」ということではないからだ。そうではなく、今の音楽業界を取り巻く「論点」がいかに多いかということをあぶり出したかったのだ。そして本書に「価値」があるとするなら、まさにその部分にあると思っている。

2002年1月に「音楽配信メモ」というサイトを開設して3年弱。その間、音楽業界のニュースに対してネットユーザーや音楽ファンがどのような反応をするのか、ずっとウォッチしてきた。その中でいつも気になっていたのが、あまりにも「ある事実や背景を知らずに、脊髄反射的に短絡なコメントをしている人が多い」ということだ。

批判したいヤツはすればいい。だけど、きちんとした知識や事実認識なしに的外れなコメントしても、それは自己満足のガス抜きにしかならないと思う。今の音楽業界のことをクソだと思ってて、その状況を何とか変えたいなら、ニュースの背景にどういう問題が横たわっているのか、きちんと勉強するべきだ。踏まえておくべき事実や認識が多ければ多いほど、音楽業界に関する議論は実りあるものになるはずだ。できるだけ多様な視点、認識を持ち、それを最大限活用して議論すれば、新たなソリューションが生まれるかもしれない。こうした話し合いから何かを産み出していく作業が今の音楽業界には圧倒的に足りないんじゃないかと思う。

本の体裁上、ほぼすべてのコラムで自分がどう考えているかということは書いたつもりだ。しかし、僕の中では反対意見を認めないということは絶対にないし、音楽業界側の言い分もよく理解できるという問題も多い。もちろん、自分の書いたことには責任を取るつもりだが「どっちの意見も正しいよな」と揺れながら書いたものもある。あとがきに至って、大変言い訳臭くて申し訳ないのだが、これが僕の偽らざる本音だ。

CCCD問題1つ取ってみても、消費者、音楽ファンとしての自分はCCCDを許すことはできないけど、一方でクリエイター(著者)としての自分は、こういうもので何らかの制約をかけることも食べていくためには仕方ないのかなと思ったりもする。そうなると結局、問題の結論は個々の読者に委ねるしかない。その中で、読者が多様な視点を持つようになり、自分の立場だけでなく相手の立場になってものを考えられるようになれば、ミュージシャン、レコード会社、小売店、リスナーすべてが幸せになるベターな結論が見つかるかもしれないじゃないか。というか、そうなって欲しい。

お互い譲歩するところは譲歩して、譲れない部分は譲らず、徹底的に議論すればいいのだ。今は残念ながらラウドなのがレコード会社ばかりで、肝心のミュージシャンやリスナーの声があまりにも小さい。この小さな声を大きくするためにこの本がちょっとでも役に立てば著者としてはこれほどうれしいことはない。

この本では全体的に違法コピーについて甘めの見解を示している(それどころか、自分が昔ナプスターを使って違法ダウンロードしていましたなんてことまで書いてますな)。これは、僕がファイル交換ソフトとか違法コピーについて、肯定派でもなく否定派でもなく、違法コピーが存在するのは「必然」だとする立場だからだ。どんなに規制しても違法コピーを根絶することはできない。だったら、違法コピー側に「行って」しまった人をどうすれば、こっち側に「戻せる」のかということに頭を使って、労力をかけるほうが建設的でしょ、ということだ。

こういうことを言ってると、よくお叱りを受ける。「お前は自分の著作物が違法コピーされて、それでも平気でいられるのか?」と。

実は結構平気だ。ぶっちゃければ、単行本が大した収入にならないということもあるが、ガチガチのコピーガードをかけて少数の人にしか読まれないくらいなら、コピーされまくってでも、多くの人が読んでくれた方が著者としてはうれしい。まぁ、できれば読んでくれた上で印税が発生すればベター、くらいに思っている。

それにしても、音楽業界はおもしろい。普通の常識では考えられないことがたくさん起きるし、「へ?」と思わず聞き返してしまう裏事情を聞かされることも少なくない。こんなことを書いてしまうのは、著者としてルール違反かもしれないが、いろいろな人に話を聞いたり取材する上で、本書で「書けない」ことがたくさん出てきた。いくら正論をぶちかましても、その論理とはまったく別のところの力学で物事が決まったりするのだから、それは本当にどうしようもない。

でも、音楽業界を取材していくうちに、ろくでもない事情や人だけじゃなく、本当に純粋な音楽好きがたくさんいるってこともわかった。そりゃどんな業界でも清濁両面を併せ持ってるものだが、音楽業界はそのコントラストが非常に激しい。でも、だからこそおもしろいし、きちんと純粋に音楽が好きでやっている人に対してメッセージを発信することは意味があると思っている。

だらだらとあとがきを書いているうちに、CCCDに対して強きの姿勢を崩さなかった某国内のレコード会社が「CCCDを少なくする方向に動く」という情報が入ってきた。もしかしたら数年後にはCCCDなんて下らないものが全部なくなってるかもしれない。そうなるといいなと思うし、この本で書かれているさまざまな懸念が全部きれいな形で解決されて欲しいとも思う。

10年後くらいにこの本を読んだ人が「あの頃の音楽業界はこんなくだらないことで悩んでいたんだね」と笑いながら感想を言えることを願って。

こんな感じです。ここには俺の98%くらいの本音があるかなー。

というわけで、いろいろとお騒がせしてすみませんでした。真面目に僕を擁護してくれるエントリーを書いてくださったid:inumashさん(id:keithmentholに聞いてみたところ、5/17の勉強会は参加するそうです!)、id:kowagariさん(「メディアリテラシーを考える上で非常に意味のある話だと思った」という指摘はこの一連の流れの本質を突いていると思います)、本当にありがとうございました。

こんなふざけたネタをやって混乱してしまった読者の皆様にもお詫びします。ごめんなさい。

最後に僕がメディアリテラシーを考える上でもっとも参考にしている書籍があるので、それをAmazonリンクしておきます(お詫びの意味でアソシエイトIDは抜かします)。みなさん機会があったらぜひ読んでみてください。

ASIN:4759222197

| インターネット全般 | この記事のURI | Posted at 01時12分 |

2006年03月26日(日)

クリエイターは「批評されること」そのものを問題にしているのではない

作品を批判すること(naoyaの日記)
いいモノを作るためには適切な批判が必要(Nao_uの日記)
「クソゲー」という言葉を受け止められない人間がゲームを作るな、と言いたい(発熱地帯)

このあたりの話題。ネットにおける批評はどうなのよ問題は常にグルグルバターになりますな。

随分前に俺も近いような話をはてなダイヤリーの方に書いた。そのあとも関連する話題をちょっとずつ書いている。

酷評するヤツに守ってもらいたいルール(Don’t lose your temper)
たった50字で批評気取り?問題(Don’t lose your temper)
otsuneさん日記のフォロー(Don’t lose your temper)

長いので言いたい部分を要約転載すると

現実的な提案かどうかはさておき、俺がやってもらいたいのは、物事を批評するとき、最後に「自分が好きなものを列記する」ということを基本的なマナーにすることだ。俺が言いたいのはつまり、読者の側も批評される側も単純にそいつがどういうものが好きなのかということを事前にわかっていれば「こいつとは趣味や価値観が違うんだな」と納得できるし、変に傷が付くことが少なくなるんじゃないかということだ。別に匿名でもいいんだよ。そいつのハンドルやら実名が知りたいんじゃなくて、批評してくるやつの立ち位置が知りたいだけなんだよね。

当時劇作家の鴻上尚史が言っていたのだが、「えんげきのぺーじの一行レビューは絶対に見ない。少なくとも何か作品を見て語ろうとしたときに、それは一行なんかで書けるものでないからだ」みたいなことを言ってたんだよね(正確な発言や媒体は忘れた)。要するに劇作家である以上、作った作品に対して批評(それが酷評であろうと)されるのは当然ではあるし、その覚悟もあるが、しかし少なくともえんげきのぺーじに書かれているような「カジュアルなレビュー」は批評以前のものだろうと。もちろん50字で喫茶店ダベリング感覚で思いついたことを言いたい(それをサカナにコミュニケーションしたい)だけという自覚がある人は、そういうはてブのコメントについて「批評」なんて大上段に構えた単語は使わないだろう。「作者(リンク先)がどう思おうが知ったこっちゃねーよwww」という人がゆるやかなつながりを持つことで生まれる生ぬるい気持ちよさってのがあるのも何となくは理解できる。俺だって私生活で友人と話してるときはいろいろなものの悪口言いまくりだ(でも俺はさすがにそういうのをネットに持ち込むのはスマートじゃないと思ってるのでやらないわけだが)。ま、いずれにせよ「だべってるだけだよ」という感覚がある分だけ、マシなようは気はする。問題(だと俺が思っているの)は、自覚のない層だ。自覚のない層は多分2種類の人がいて、1つは本当に批評とかそういうものを超えてナチュラルに脊髄反射的なことしか書けない、あるいはネットがどこにおいても2ちゃんねる的みたいなものと思っている人だ。それはある種の確信犯と言えるかも知れないけど、小学生の頃から普通にネットがあってそういうネットの付き合い方してる人には、ネチケットとかそんな古い概念自体が通用しないんじゃないかとも思う。

自分のブログやブックマークページでコメントするなら好きにしてくださいって話で、そんなものをどうにかしようなんて思う方が馬鹿げてる。そうじゃなくて、ブックマークのコメントを一覧形式で閲覧することによってこういう問題起こしがちである側面を持ってることに、俺は(ある意味で他人事ながら)不満を持っているという話であり(自分の書いたものに対して素早く評判をチェックできるって意味では俺自身重宝している部分もあるし、別に俺の書いたものに対して何か言いたいやつは言わせておけくらいの覚悟は持ってますよ。ここはホントに誤解されたくない)、場の在り方として、あのコメント一覧は当然メリットとデメリットがあって、現状デメリットの方があまりにも考えられてないんじゃないの? ということが言いたいだけ

素朴な感情としてネット上で何かに言及するならそれなりに言葉は尽くして欲しいとは思うんだよね。ネタ的なこととか、単純に思ったことを言及相手を気にせず言える風通しの良さがネットにあった方がいいのは俺も分かるけど、そういうのは全部2ちゃんねるに任せちゃうっていう棲み分けを行うとかさぁ。どっかでバランス取った方がいいような気もするんだよね。

この問題を語る上で難しいのは、naoya氏、Nao_u氏、DAKINI氏それぞれの意見が対立しているようでいて、(俺から見たら)全部納得できるところがあるっていうところなんだよね。批評そのものの定義がそれぞれによって微妙に違うし、何が問題なのかというポイントがずれているから、話が噛み合わないのかなとも思う。

ただ、三者に絶対的に共通している意識は「作った作品に対して批判を受けるのがプロであり、それをクリエイターの側が制限しようとするのは愚かなことだ」という原則だろう。そんなもん、プロのクリエイターだったら当たり前の意識として持っていなければいけないものであり、今更それを消費者の側から鬼の首を取ったように「クリエイターの甘えじゃないの?」と指摘するのは、ほとんど意味のないことだと俺は思う。naoya氏が問題にしているのは、作品に対する批判があるのは当然とした上でユーザーの批評の在り方とか、それを醸造する空気を作り出すシステムに対する言語化しにくい疑問みたいなことなんじゃないだろうか。

果たしてゲームの発売日の前から思いこみや前評判による勝手なレビューを付けられてしまうAmazonのレビューシステムはどうなのか。DQNなエントリを書いたブロガーに対して総攻撃を行うために作られたはてなブックマークのPermalinkはどうなのか。2ちゃんねるで日夜繰り広げられる「社員書き込み者」による、ライバル社の製品への誹謗中傷書き込みはどうなのか。

それらはすべて受け手側のリテラシーの問題だよね、と言い切ることは簡単だ。でも、メディアリテラシーなんて簡単に身につけられるものじゃない。人は自分が信じたい情報を信じるし、何となく(あるいは計算づくで)作られたその場の空気に流されるのは基本的に気持ちのいい(楽なこと)ことだからだ。大体、いちいちその情報の信頼性を調べるのに複数ソースを当たって、さらにはネットではわからない部分の情報も含めて検証したりするほどネットユーザーは暇じゃないし、そもそも毎日流れてくる情報の速度が年々速くなっている状況でリテラシーなんて本当に身に付けられるのかという話もあるだろう。

だから、俺は具体的にこういう問題に解決策があるのかどうかはともかく、箸にも棒にもかからない(しかし、悪意だけはふんだんにこもった/悪意はないが読んだ人や批評された側が不快になる)「批評」を、誘発しがちな「場」そして「場の在り方」について疑問を持ち続ける必要があると思ってるし、それがその状態で放置されていていいのか、ということも含めて考えなければいけないと思っている。

興味深いのは、naoya氏のこの発言

何がそんなに頭に来たかというと、単に自分が面白いと思ったものを批判されてるからというわけではないです。そうじゃなくて人が一生懸命作ったものを安易にクソゲーだとかいってボロクソに書く無神経さが許せない、という感じです。

ここに噛みついている人も多いし、誤解を招きやすいところだけどnaoya氏は「一所懸命作った作品を否定されること」を問題にしているのではなく、その批評する「態度」のことを問題にしているはずだ。俺はそれは消費者のリテラシーの問題ではなく、もしかしたら「システム」がそういう態度を誘発しているんじゃないかと考えているし、そういう空気が生まれがちなはてなブックマークの「コメント機能」が嫌いなわけだけど、まさにそういう話が他ならぬはてなブックマークを開発したnaoya氏から出てきたというところに皮肉なものを感じざるを得ない。

あと、こういう話題をすると必ず出てくる反応が「クリエイター様はそんなに偉いんですか?」というお決まりのフレーズだが、こういうツッコミはある一面では正しいし、ある一面では間違っていると思っている。一口にクリエイターといっても作り出すものによってさまざまな違いがある。それは作っている作品のジャンルということではなく、端的に言えば「0→1のクリエイター」と「1→10のクリエイター」には大きな違いがあるということだ。

そして本当の意味で純粋にモノを創り出すことにしか興味がないような純粋な「クリエイター」は、「0→1のクリエイター」の側に圧倒的に多いことも事実である。そして俺はそういう人たちは「偉い」とか「偉くない」とかそういうレベルではなく、単純に「凄い」と思ってるし、そういう人たちがネット上のくだらない中傷によってモノが創れなくなってしまうことはもったいないとも思っている。「それが現実社会だ」「金払ったお客さんたちの意見はどんな意見でも聞くべき」「プロとしての意識が足りない」「本当に自分が創ったものに自信があるならくだらない意見なんか流しておけ」といった意見はどれも正論であり、俺自身その通りだと思うのだが、「0→1のクリエイター」のような人たちがどれだけのびのびと活動できるかで、その国の文化レベルみたいなものが知れるんじゃないの、とも思う俺は今の作品に対して消費者が気軽にモノを言える環境(喫茶店のダベリトークが全世界に、そしてクリエイターに直接読まれることを想定されずに垂れ流されている環境)にいびつな部分を感じてしまうのだ。

人がある作品に触れたとき、「これはクソだな」と思うことは止めようがないし、そんなことを何かの力を使って止めようとするのは単なるファシズムだ(逆の意味でいえば、自分がクソだと思った作品を淘汰するために悪意ある酷評で徹底的に叩き、世の中を自分好みの作品だけにしようとする行為もファシズム的だと俺は思うし、そういう人間は大嫌いだ)。だが、気分に流されやすい消費者が作品に対して安易に責任を取らない言説を垂れ流せるシステムがそのままの形で放置されていいのか、という問題については多角的な面からどうすればいいのか考えられるべきである、というのが俺のスタンスだ。

Amazonのレビューシステムはあんな状態だが、それでも一応Amazon側のスタッフが内容をチェックしてから掲載されている。だが、Amazonとほぼ同じシステムを使ったiTunes Music Storeのユーザーレビュー機能は、俺の推測だが恐らくAmazonが最低限やっているようなチェック作業をしてないのではないか。そのため、楽曲によってはかなり悲惨なレビューがたくさん付いている。単にユーザー側、クリエイター側のリテラシーでそういうレビューは無視すればいいじゃないかというのは簡単だけど、俺はシステム側の工夫である一定レベルまで達していないレビューはフィルタリングした方がいいと思っている。要するに喫茶店のダベリトークレベルの話はクローズドな場所、ネットでいえばSNSみたいなところでやっておけばいいじゃんっていう。もちろん、ダベリトークが全世界に公開されることで生まれる面白さがあることは否定しない。だが、今の状況はそれによる負の面があまりにも考慮されていないのではないか、と俺は思う。そこの部分はどうしたって結論出ないのかもしれない。でも、そこの部分をなあなあにするんじゃなくて常に今後を見据えて考えていく態度そのものが重要なのではないかと思うのですよ。

知り合いの高名な音楽評論家がこの前いみじくも言っていた。「今は消費者が音楽を購入するとき、雑誌の音楽評論よりもAmazonのユーザーレビューの方が信頼される時代だからさ」。自嘲気味に彼は言ったが、良い悪いじゃなくて状況認識として「正しい」と俺は思った。良い悪いじゃなくて、そういう時代。もちろん個々のユーザーレビューを見たときに雑誌の音楽評論よりも優れたユーザーレビューはたくさんあるし、雑誌の音楽(に限らずすべてのジャンルの)評論の在り方も見直されなければならない時期にきているのかもしれない。しかし、それでも評論(以前のものも含めて「レビュー」や「ブックマーク」の場では評論として一緒くたにされてしまう状況を含めて)がカジュアル化した現在の状況がポップカルチャーの制作現場に良い影響を与えているとは俺は思えないのだ。

単なる賞賛より的確な批判の方がクリエイターの次の作品作りにとっては良い材料になるという話も理解できるが、実は「0→1のクリエイター」は、それすらもあまり関係なく自分の衝動でモノを創っているケースも多い。だったらくだらない批判なんかも関係ないだろうという話もあるが、これが逆で批評の名を借りた剥き出しの悪意が自分に向けられることに対して過敏に反応してしまう人もいるのだ。実は「賞賛よりも的を射た批判がクリエイターの糧になる」というのは、俺個人は「1→10のクリエイター」の人たちなのではないかと思っている。俺自身が完全に「1→10」の人間だしね。俺は「0→1」の人たちが気持ちよく創作活動を行ってくれて、それができれば食うに困らないくらいの報酬も彼らにもたらすような「環境」を作れればいいなと思っている。ありきたりな言い方になるけど、そういう環境がなければ文化的な「豊かさ」は生まれないのではないか、みたいな。

音楽の話でいえば、IT技術やネットが進化したことによってインディーが力を得られ、これまでメジャーレコード会社に独占されていた「音楽を消費者に届ける」ということが、自分たちの好きなようにできるようになった。ロングテールのアーティストに「食える」可能性をもたらしたという意味で、IT技術やネットは最大限評価されるべきだろう。しかし、そういうポジティブな面だけでなく、ネットの公共性や、あまりにも簡単にデジタルコピーされて流通してしまう状況が(すべてとは言わないが)「0→1」の(場合によっては「1→10」も含めた)クリエイターたちを苦しめていることも事実である。しかし、それを嘆いたところでAmazonのレビューもはてなブックマークも2ちゃんねるもファイル交換ソフトもなくならないし、もう昔に戻ることはできない。だからこそ今、昔の状況は本当に良かったのか、ということも含めてコンテンツ制作にIT・ネットがもたらしたものの功罪両面を洗い直していく必要があるのではないかと思う。

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