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  • 音楽配信メモの更新は終了しました(2002.1.11〜2014.8.23)。

ナタリーってこうなってたのか 表紙

ナタリーってこうなってたのか

大山卓也 著 / 双葉社

ISBN:978-4575307009 / 版型:18.2×12×1.2cm
ページ数:184ページ / 定価:1080円(税込)

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2006年08月05日(土)

東京地裁の高部眞規子裁判長が著作物流通を促進(?)する画期的な判断を下す

番組ネット転送「適法」 東京地裁、TV局中止申請却下(asahi.com)
ロケフリ利用の遠隔視聴サービス、中止求めるテレビ局の申し立て却下(ITmedia)

逆の意味でこんな判決が出ることに驚いた。「著作権の考え方」を書いた政策研究大学院大学教授の岡本薫氏(元文化庁著作権課課長)のコメントがふるっている。

岡本薫・政策研究大学院大学教授は決定について「業者や利用者にとっては、機器の所有権が利用者にあれば、著作権が及ばないようなビジネスモデルが作れるという画期的な判断だ。ただ、著作権者にとっては、音楽配信などに同種のビジネスモデルが広がれば、重大な影響をもたらすだろう」と話した。

絶対に「画期的」をポジティブなワードとして使ってない(笑)

「音楽配信などに同種のビジネスモデルが広まれば」というところでいえば、例えばTSUTAYAとかのCDレンタルショップに自分のiPod持って行ったら有料でiPodに入れてくれるなんてサービスも可能になるかもね。究極のキオスク端末がいきなり全国展開!(笑)

しかし、こんな解釈が通るなら一体「録画ネット裁判」は何だったのかという話になるよね。まぁ今回の判決と録画ネット裁判は細かいところで違いがあるのかもしれないけど。

こんなアグレッシブな判決を出した高部眞規子裁判長は東京地裁では知財関連でユニークな判決を出す裁判官として有名で、先だっての一太郎と松下電器の特許訴訟の一審でジャストシステムの「一太郎」「花子」の特許侵害を認め、販売中止と製品の破棄を命じた裁判官でもある。一太郎以外のいろいろなアレなことについてはこちらにまとまっているのでどうぞ。これわかりやすくて面白いね↓

445 :番組の途中ですが名無しです :05/02/01 16:48:26 ID:3fihA3FB

*「一太郎というソフトの機能とこちらの特許では」

高部「あら似てるわね。アウト」


*「ラ・ヴォーグ南青山というマンションがあります」

高部「あら似てるわね。アウト」


*「高知東急という芸名は」

高部「あら似てるわね。アウト」


*「小林亜星さんの曲とこの曲は」

高部「あら似てるわね。アウト」


*「和民の看板と魚民の看板がそっくりなんです」

高部「別にいいじゃない。セーフ」

「甲曲の4小節を1フレーズとし、乙曲の2小節を1フレーズとして両曲の旋律を対比すると、乙曲の全128音中92音(約72%)は、これに対応する甲曲の旋律と同じ高さの音が使用されており、甲曲と乙曲は、各フレーズの最初の3音以上と最後の音が第4フレーズを除く全フレーズにおいて、すべて一致しており、各小節の最初に位置する強拍部の音は第4フレーズを除いてすべて一致する」というすごい根拠でメロディのパクリ基準をお作りになられて「もう下手にオマージュっぽい手法使って音楽作れなくなるねー」と音楽業界を震撼させた迷裁判小林亜星『どこまでも行こう』事件の判決を下した裁判官でもあるわけで。

いや別に俺も録画ネットにしろ、今回のまねきTVにしろ、こういうサービスは認められた方が消費者的には便利になるよな、と思っているので判決自体はまぁ歓迎なんだけど、知財関連でこんなトンチンカン(少なくとも俺から見たらそう見える)な判決ばっか出してる人に出されても正直微妙よね……と思うところもある。

こういうサービスは著作権というよりかはビジネスマターで解決できればいいんだろう(放送局も目くじら立てなさんな)けど、まぁそれも難しいだろうしねえ。これ知財高裁いくのかな。まぁ多分高裁では覆るだろうけど、放送と通信の融合にまったく予想しなかった斜め上から横やりが入って、野次馬的にはワクワクする状況になって参りました!

(追記)
小倉先生のところで今回のまねきTVは「ハウジング」で、録画ネットは「ホスティング」だったという指摘が。なるほど。

| 著作権 | この記事のURI | Posted at 04時14分 |

2006年08月04日(金)

はてなの音楽ブログが地味にヤバい

この前紹介したPOP2*0がヤバいのは、音楽フリークの中でもはや既に常識であることは当然として、音楽業界に興味がある人も、この↓エントリは読んでおくべき。

教科書には載っていない「極私的A&R論」(POP2*0(ポップにーてんぜろ))

よく使われるA&Rだが、日本ではヘンテコな感じで定着しちゃっている音楽業界カタカナ英語の筆頭格だろう。エントリでも触れられているが、そもそも「ディレクター」「プロデューサー」の意味も、日本と欧米とは違うのだから推して知るべし、であるのだが。

このエントリの中で触れられている丸さんのブログだが、「ウォークマン」が音楽業界に与えた影響を語っている一連のシリーズが面白い。

ウォークマン(丸山茂雄の音楽予報)
ウォークマン その2(丸山茂雄の音楽予報)
ウォークマン その3(丸山茂雄の音楽予報)
昨日の続き(丸山茂雄の音楽予報)

最後のエントリの方に行くに従って、本筋からずれているようでずれてない話になっていっているのが最高。このブログにロックを見た。

あとは最近ねー有用な音楽はてなダイアリーというとやはりとみぃの宮殿 2.0なんだろうなと思う。

俺がそそのかした張本人とはいえ、田中さんのブログは更新頻度と文章量がヤバ過ぎる。あと1カ月も更新すればすぐに書籍化が可能だろう。カルチャー系の出版社は早いところ唾を付けておいた方がいいのでは。

すっかり更新ご無沙汰で過去ログの移管すらまだ十分でない(頑張ってこまめにやっているのだが、まだ2002年10月だ)音ハメだが、やはりここは音楽ブログの一層の充実を図るべくはてなに移行するべきなのだろうか。

皆さんもはてなダイアリーでオススメの音楽ブログがあったら、ぜひぜひコメント欄やトラックバックで教えてください!

(追記)
ということで教えてもらった2つ。
視基aB

野村誠の作曲日記

淡々としかし中身としては濃い内容が更新されていくブログはいいよね。

(さらに追記)
「はてな」の音楽系ブログで面白そうなところを紹介してみる(愛・蔵太の少し調べて書く日記)

愛・蔵太さんにたくさんピックアップしていただきました。素晴らしい!

ああそういえばyomoyomo日記は音楽・将棋・犬を愛でる日記でしたね。忘れてました。

| サイト紹介 | この記事のURI | Posted at 23時17分 |

2006年07月31日(月)

第4回著作権分科会私的録音録画小委員会のまとめ

著作権分科会 私的録音録画小委員会(第4回)(zfyl)

相変わらずお仕事が早いzfylさんのところでまとめ記事が上がっています。

どこかで言おうと思ってたんだけど、話の流れ的にちょうどタイミング良かったので「音楽なんて友人同士のコピーがメディア化して広まってきた産業なんだから、いちいちそんなものに目くじら立てなくてもいいじゃん」ということを言ってみました。

心なしかその瞬間会議室の空気が固まったように思えたのは俺の気のせいですかね……?

| 著作権 | この記事のURI | Posted at 11時58分 |

2006年07月28日(金)

「一次」「二次」クリエイター論の追記

このエントリの続き。

俺、この文章の中ではあえて「一次」と「二次」をあいまいにごっちゃにして語ったんだけど、この文章読んで「二次クリエイター」と捉える人が多いのには驚いた。俺のいう「二次」は「二次パブリッシャー」の意味だよ。「二次クリエイター」なんて単語、文章の中でどこにも出てきてないでしょ? 最初から「クリエイター」と「パブリッシャー」という二項対立で語れば良かったの? ふーん。めんどくせ。立場と役割と希少性が違うんだから「切り分け」るのは当たり前だろっつーの。

「0→1(と、0→1をクリエイターの一番近くで手助けするサポーター)」と、わざわざカッコ書きで長い補足を付けているのは、「二次パブリッシャー」と「一次クリエイター」の間に挟まる人は、一次クリエイターと同じくらい替えがきかない存在だよね、と主張しているわけで、最近そこの場所にいる人から直接「二次クリエイターをバカにするな」とクレームがきて驚いた。俺の中ではその人はそういう「一次クリエイター」寄りの「1.5次エディター/クリエイティブサポーター」的なポジションにいる人だと思っていたからだ。で、「パブリッシング」ってそれなりに割と誰でもできる仕事だよね(誰でもできるは言い過ぎでも、確実に替えが効かないタイプの仕事ではない。資本とかそういうの抜きにして、仕事の質でって意味よ! もうこういうことをいちいち留保しなきゃいけないのがうざったい。あー文章って難しい。こういう留保をさりげなくいれて、誰でも明解に理解できる文章展開が完璧にできていたという意味でも「ウェブ進化論」は素晴らしい本だった。個人的にはここ数年のIT本のベスト)。割と誰でもできるんだから、まぁちょっとくらいは偉そうにしてもいいけど、必要以上に偉そうにするなよというシンプルなことを言いたかっただけですよ。必要以上に偉そうにふるまうような感覚が現実面のふざけんな! って感じのシビアな契約書に落とし込まれる世界だったりするわけで。

まぁそもそも本質的にブログのエントリは「誤解のない理解はない」というシンプルな法則に基づいて生産されるものであり、意図を正確に伝えることがそもそも難しいって部分もあるんだけど、俺の場合はまぁしょうがないよね、と思う部分もある。だって俺、最近商業原稿でない自分のブログでは意図的にいろいろな論点をごちゃまぜに詰め込んで「読者に何かしら想起させるきっかけを作る」ということしか考えていないからね。「違和感、お届け!」(ピザーラ、お届け!の口調で)

一見無謬性の高そうな文章とか、煽り抜きの面白味のない分析とか読みたい方はCNETの読者ブログでも読んでいればいいんじゃないかな。CNETの読者ブログってGoogleニュースからリンクされるような、まさに信頼性の高い「マスメディア」だしね! 読者ブログがGoogle上では新聞記者の書く記事と並列。これをWeb 2.0と言わずして何をWeb 2.0というかですよね。チープ革命もここまできた。

あ、俺の原稿の話だった。音ハメじゃなくて、商業原稿の方はもうちょっとちゃんと書いてるのでそっちもご一読されることをオススメします。立ち読みでいいからさ! Mac Peopleの連載コラムとか我ながら良いこと書いてるよ。煽り抜きの音楽業界の現状分析と将来展望を読まれたい方は8月発刊予定の「デジタルコンテンツ白書2006」を買ってください。そこの「音楽」の原稿担当しました。

| 著作権 | この記事のURI | Posted at 00時42分 |

2006年07月23日(日)

今やってる舞台『開放弦』で音楽配信が話題に

昨日渋谷でやっている演出家G2プロデュースの開放弦という舞台を見てきた。俺は主演の大倉孝二のファンで、彼が所属するナイロン100℃の舞台もよく見に行っているのだが、今回は主役ということで期待を膨らませていったら、意外と主役感の薄い役柄で若干残念感があった。(話はよくできていて、面白かったですけどね)。

それはそれとして、この話は「開放弦」という名の通り、ギターや音楽がモチーフになった舞台。劇中、大倉孝二の所属するバンドが、普段のんびり音楽活動やっていたのだが、知らないところで火がついて大金をゲット、そして話は思わぬ方向へ……みたいな流れになっているのだが、そこでCDは1000枚くらいしか刷っていないのに、音楽配信(ダウンロード)で、火がついてミリオンみたいな流れになったのが、おもしろかった。何の説明もしなくても「今時はインターネットでダウンロードなんだよ」ということがこういうお話の中に登場して、それに対してお客さんもきちんと違和感を感じずに納得できていることをみて、「あーもうこういうのも(世の中に存在していることが多くの人に認知されているという意味で)当たり前の世界になりつつあるのね」と思ったわけだ。

余談になるが、実は俺は大倉孝二とナイロン100℃の楽屋でニアミス、というかすれ違ったことがある。当時俺は大学生で打ち込み系ポップのユニットをやっていたのだが、ナイロンの芝居でもらったチラシに「ナゴムレコード復活! デモテープ募集!」という一文を見かけて自分のユニットのデモテープを送ったのだ。その後当時ディストリビュート?を担当する予定だったROADRUNNER RECORDSの人から連絡があり、ナイロンの公演終演後、楽屋でケラさんに会って「頑張ってね」的なことを言われた。そのときにすれ違ったわけだ。すれ違った彼は当たり前だが身長が高くて、なんか難しそうな顔をして、今でも思い出せるようなかっこいいオーラをまとっていた。

結局、ナゴム復活とはいっても、既に演劇に活動の中心を置いていたケラリーノ・サンドロヴィッチは、もろもろの事情があったのか、(かつてのような)「インディーズレーベル」としてのナゴムレコードを復活させることはできなかった。俺も音楽は好きだったし、真剣にプロを目指すことを考えたことがないわけでもなかったが、ライターになりたいと思う気持ちを優先させて、ケラさんにその後連絡を取るようなこともなかった(まぁ、すぐにプロデビューできるほどのデモテープじゃなかったということも自分では分かっているが)。

楽屋を訪れたのは、確か1997年のことだったと思う。奇しくも1997年は俺がライターになった年でもある。大倉くんは俺と1つしか違わないという意味でも、ずっと気になる存在であった。あのときの大倉くんはまだぺーぺーの役者だったが、その後どんどん成長して、今ではテレビドラマでも常連になった。他人事ながら、しかし一ファンとして、彼の活躍はとてもうれしい。

あれから9年が経った。あのときライターの道を選んだことにまったく後悔はない。俺ももっと頑張らないといけない、とも思う。

芝居を見終わったときに、ふとそのような思いがわき上がってきた。やっぱいいよね。音楽でも演劇でも映画でも才能がある人が自分の魂を削って「作品」として昇華させたものを楽しむのは。

| 小ネタ | この記事のURI | Posted at 18時52分 |

YouTubeコラムをNIKKEI NETに寄稿して思ったことなど

NIKKEI NETで「コンテンツビジネスの真相」という連載コラムを始めました。

「YouTube」は敵か味方か(NIKKEI NET IT-PLUS)

第1回目はYouTube。大仰なタイトルが付いているのである程度気合いを入れて書かなければと思う面もあり、まぁいつもの感じでやっていこうか、と思う面もあり。

YouTubeに関しての現時点での思いは割とシンプル。「あーうまく行くかもしれないし、失敗する可能性もあるよねー」というもの。それこそ今は半々くらいじゃないかなーと。

このコラム書いたあとに俺のところに入ってきた情報としては、近いうちに(もしかしたらもうやっちゃったのかもしれないけど)日本の民放連が正式にYouTube側に割と大きめの「警告」を行う、というものがある。とくにワッチミー!TVとの絡みがあるフジテレビが相当いきり立っていらっしゃるようで、YouTubeの特集をやっている雑誌などに対して「お前らふざけんなよ」みたいな圧力をお偉いさんがかけ始めてるらしく、まぁやっぱり思った通り焦臭い方向に行きつつありますねぇというのが正直なところ。こういう状況なら、そりゃACCSさんもビジネスチャンスたくさんあるでしょうね。

こういうサービス語る上で難しいのは「良い」要素も「悪い」要素も両方絶対にあるってことだ。だから俺は常に「善悪論」じゃなく「必然論」で語るってのを基本スタンスにしている。

で、それと同時に思うのはこういうサービスで文句言うのって大体においてが「一次クリエイターじゃない」ってことなんだよね。俺もなんか適当な人材がいないせいか「ネット時代の消費者代表」みたいな立場だったり「ネットにくわしいITサービス・メディア評論家」みたいな立場で、いろいろなところに呼ばれて意見求められたりするわけど、そういう場に行って最近思うのが「よく考えたら俺も著述というジャンルの一次クリエイターなんだよなぁ」ということ。

あえて、ものすごく乱暴に断言してしまうけど、一次クリエイターにとっての幸せというのは「多くの人に創ったものを見てもらう」ということに尽きる。だから、別にそれがYouTubeだろうが、対価の発生しない“違法”なファイル交換ソフトだろうが、ブログへのコピペだろうが、図書館で無料で貸し出されようが、人格権(というか氏名表示権かな)が守られている限りは「基本的に」大歓迎だよ、ってのが多くのクリエイターの当然の意識だと思うのだ。それこそ8割〜9割のクリエイターはそうなんじゃないの? で、俺はクリエイティブ活動でメシを食ってるプロの一次クリエイターですら(悪質な海賊版とかを除く、要するに対価の伴わないコピーであれば)7割以上はそういう感覚を持っているんじゃないかと思っているよ(数字は一切根拠なし。俺の思いこみ!)。お、yomoyomoさんThanks!

それこそ政府主導の委員会とかには「物言うクリエイター」が呼ばれたりするわけだけど、彼らは現状決してクリエイター全体のベンチマークではない。サイレントである(しかし、恐らく数は多い)クリエイターがどのように思っているのか、ということは現実の政策決定プロセスには反映されない。それってやっぱおかしいと思うし、金かけてきちんと1万人くらいのクリエイターに聞き取り調査するとかそういうのがあってもいいんじゃないの? とも思う。

で、自分たちで素晴らしい作品の「0→1」クリエイティブに携われないけど、「1→10」で金儲けしたい既得権益の連中がYouTubeみたいな「1→10」を勝手に肩代わりしちゃうサービスに対して文句を付けてるってのが今の基本的な構図なわけで、俺はここに対してはずーーーーーーーっといびつなものを感じている。もちろん、コンテンツビジネスにおいては1→10の存在だって絶対に必要だろう。でもさぁそれって「0→1(と、0→1をクリエイターの一番近くで手助けするサポーター)」に比べればオルタナティブがたくさんある交換可能な存在でしかない、ってことも事実だと思うんだよ。

たとえばメジャーのレコード会社だって、最近はレコード制作費出さないで原盤権も持たずに「配給」しかやってないメジャーのレコード会社も増えてるわけだけど、それってさぁ君たち要するに単なる「CD焼き屋さん」でしかないんだよ、ということをどれだけ自覚してるのかという。単なるCD焼き屋風情が「我々の権利が侵害されて云々」とか偉そうに抜かして、はなから消費者犯罪者扱いしてCCCD出したり、いまだにCCCD諦めてなかったりするから腹が立つわけでね。

まぁでもクリエイターの意識が低すぎるのも問題だ。プロのクリエイターにとっての「権利」ってのは生命線でもあるわけなんだから、だからこそどうやって人に認知させてその先どういう商売につなげていくかってことを「プロ」ならちっとは考えなきゃいけないんだよ。それをいつまでも無能な連中に人任せにしてるから肝心の「届けたい人々」が見えなくなってしまうわけで、余計なとばっちりをクリエイターが受けてしまうという悪循環があるんだと俺は思う。

さるアーティストが自分のブログで著作権がらみのトラブルに触れた折、「はっきり言ってこれから、僕達はどう守られて行くのか不安でもあります」と発言したが、これは象徴的な発言だと思う。権利は人任せにして「守られる」ものじゃない。自分で「守って」いくべきものなんだよ。そして「権利を守る」というのは、自分で創ったコンテンツを「積極的に活用していく」ということも「守る」ことの1つに含まれる。このことについて一次クリエイターはもっと自覚的になるべきだし、本当に作品づくりのことしか考えられないピュアなクリエイターだったら、側にいる(清濁併せ持てて、ビジネスセンスもきちんとあって、しかも最終的には誠実な)人間がそういうクリエイターをきちんと「マネジメント」という形で「守って」あげる必要があるんだよ。

既得権益がYouTubeみたいなまったく文化の違う恐ろしいサービスに対して恐れおののいているのは、これまでは「参入障壁」と「大資本」という裏付けで高みの見物をしていられた状況をYouTube(的な「あちら側の」サービス)が一変させるかもしれない、ということを今更になって理解し始めたからだろう。だから、今後数年はこういうムダな抵抗は続くだろうけど、クリエイターと受け手側の意識が変われば、それはもう必然的に世の中は変わって行かざるを得ない。

だからいいんだよ。もしかしたらYouTubeは潰れるかもしれないし、ファイル交換ソフトでたくさん逮捕者が出ていくかもしれない。そういう状況になっても、クリエイターは作品を創って、どのような受け手にどうやって届けるのか、ということをシンプルに考えていけばいいし、受け手は受け手で自分が消費したいコンテンツを、(その時に)一番理にかなった方法で消費していけばいいのだ。

お金になるかどうかはそのあと考えればいいじゃんね。何のためにコンテンツを創るのか。何に突き動かされて表現をするのか。そこをもう一度自分の中で答えを出して一から始めていけばいいんじゃない? 今は「技術の進歩」がもたらした「チープ革命」と、インターネットでダイレクトに受け手と作り手がつながる「回路」があるという点で、明らかに昔と状況が違うわけでね。受け手が自分勝手でわがままなのはこれから先もどうせ変わらないんだし(俺だって受け手の立場になればそうだしね)、だったら作り手が変わっていくことでしか、世の中は変わっていかないよね。

ほんと一次クリエイターが偉そうにふるまう「二次」の連中を見返せるような状況が来た方が全体としてはおもしろいことになると思うんだけど、変わるにはやっぱ「時間」が必要なのかね。でもネットが普及した95年から散々こういう議論がされてきているにもかかわらず、状況はあんまり変わらんなーというのが正直な俺の感想であるわけだが、その一方でようやくそういう議論に「血と肉」が付きつつある、ということも感じるね。

だから、もっと既得権益の側にいらっしゃる方々はYouTube的なものをどんどん弾圧するといいと思うよ。その方がコントラストがはっきりして、こっちも闘いやすくなるわけだしね。

さてさて、そういう混沌とした状況になったときに、俺の立ち位置はどうしようかな?

| 著作権 | この記事のURI | Posted at 16時39分 |

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