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★泥棒国民? - A Nation of Thieves?
(Prince公式サイト「NPG MUSIC CLUB」より翻訳転載)
 

※以下の記事はPrince(プリンス)の公式サイトNPG MUSIC CLUBに2002年に掲載された論文の翻訳です。記事の原文はInternet Archiveで読むことができます。記事の著作権はPrince本人とNPG MUSIC CLUBに帰属します。記事を許可なく転載することを禁止いたします(弊サイトはNPG MUSIC CLUBより当該記事の翻訳転載許可を頂いております)。


 21世紀に向かう途中で何かが起こった。メディアとエンターテイメント企業が「一極集中」を始め、「株主の価値」は過去に重要視されてきた顧客サービスや従業員の尊重といったものよりもはるかに重要なものとなった。会社の重役に対する報酬の一括契約は、最高段階に達する。そして一方、会社の結果に対して責任を持ち続けることがほとんど不可能になる。

 人々が気づいていないと思うなら、重役達は全く判断力に欠けている。

 人々は何かが確かに正しくないと気づいている。その何かが本当に悪い。株式市場が、投資の賢明な形である合法的なものとして、立派な社会的地位を手に入れたときから10年後、最近たくさんの巨大会社のスキャンダルが、今でも常にあるということを明白にしている。神経症で子供じみた相場師が、一生懸命稼いだ退職後の預金に何が起こるかを制御することができない人々である、何百万もの「匿名」の労働者と個人から苦情を受ける、という病的な場所。

 依然としてここは、ほとんどの会社の重役達の感覚が、商品やサービスをプロデュースするための人々より見ることの方がさらに重要である、という場所である。何千もの従業員の運命が、数と図表の無意味なリストという常に変化を示すコンピューター画面を、凝視する人々によって毎日決められている、という場所である。そしてもし、これが最低ラインを向上させるための「構造改革」であり、結果その「株主の価値」が増加するのである、と発表したばかりのある会社に個人的に出資してたら、冗談じゃない。会社が「株主」について話したときは、あなたやあなたのほんのわずかな株について話しているのではない。彼らは大きな株主についてのみ話しているのである。すなわちその市場価値の、より重要なシェアを持っているその他の会社についてである。

 これが、敵意を持った乗っ取りや政府の賛成する合併が、多国籍規模の更なるパワーを行使する極わずかな重役の終わりのないサイクルを助長する、という世界である。すぐに「世界の会社」と「George Orwellの1984」がもはや風刺文学やフィクションの材料ではなくなるであろう。しかし非常にリアルな「新しい世界の体制」の予言する力をもつ記述が、わたしたちの目の前で徐々に明らかになる。

小さい歴史

 まず簡単なリストから始めよう。America Online, Time, Life, Warner Bros, Fortune, Elketra, Sports Illustrated, HBO, Turner Broadcasting, CNN, Cinemax, Entertainment Weekly, New Line Cinema, In Style, Warner/Chappell Music, Time Warner Cable, WBN, ICQ, Warner Music Group, Netscape, People, Reprise, Rhino, Atlantic, WEA, TNT, MapQuest, WinAmp, In Demand, Erato Moviefone, Road Runnerなど。全て同じ巨大企業に所有された(AOL Time Warner)。

 そして他のもの。Universal Music Group, Verve, Nathan, Canal+, Impulse, Cegetel, USA Networks, Decca, Interscope, Geffen, A&M, Barclay, Armand Colin, L'Express, Universal Studios, Larousse, Sierra, MP3.com, MCA Records, Deutsche Grammophon, Cineplexなど。全て同じ巨大企業に所有された(Vivendi Universal)。

 そしてさらにもう1つ。Disney, Hyperion, Miramx, Touchstone, Hollywood Pictures, A&E, The History Channel, El Entertainment, RTL-2, Buena Vista, Mr.Showbiz, Wall of Sound, Mammoth Recordsなど。全て同じ巨大企業に所有された(Walt Disney)。

 もっと言う必要がある?自分で見て。。。すでに全部で7つのこれら巨大企業が存在する。そしてどの位でこれらの会社が少なくなるのだろうか?

 それは全て始まっている。20世紀のはじめに若い企業家たちが、創造的な野心とビジネス洞察力の混合により新しい会社を始めた。そしてこれらの会社はどんどん成長し、いかに企業家のビジョンが彼らの誕生により示されても、どんどん希薄化し次第に的を得なくなる。そして会社の会計士は、彼らと合併することあるいは他の会社を乗っ取ることを提案した。そして、これは「モノポリー」という本当のゲームになった。

 そしてインターネットと新しいテクノロジーが起こった。会計士の次のアイデアは一転集中である。すなわち「中身」プロバイダーと「アクセス」プロバイダーの合併である。これは「文化的な製品」の開始から、疑わない一般大衆による根本的な消費まで全てコントロールするためである。

芸術の扱い

 途中に何を捨てるべきかは、簡単に推測できる。創造性。芸術性。自立。批判的な客観性。制御不能のアクセス。文化的なバリアを「壊すこと」への能力。文化的な多様性。革新。自由。真の音楽。真の芸術。

 芸術と商業を首尾よく果たすには、一番いい時期でのデリケートなバランスであり、、、これらは明確に一番いい時期ではない。

 そして現在、10ページ、フルカラー印刷の最新の大きな影響力がある映画の「報道」と呼ばれている雑誌がある。まるでレポーターが、自分の雑誌とその映画を同じ会社がプロデュースしていることに気づいていないかのように…そうこれはまだ「雑誌」と呼ばれている。レポーターもまた「レポーター」と呼ばれている。そして、これがまた「ジャーナリズム」と呼ばれている。そしてたくさんの人々が大喜びでそうさせているのである。

 たぶん我々はこれを「芸術」あるいは「エンターテイメント」と呼ぶことをやめるべきである。共通の妄想に巻き込まれているということについて何がそんなに楽しいのか?おそらく我々は何が本当であるかで、それを呼び始めなければならない。すなわち自由な扱いである。

 1995年に、Clear Channel Communicationが43のラジオステーションを所有した。現在それは1200を越えるものとなっている。そしてその「独立した発起人」と呼ばれる集団が、あなたがラジオで何を聞くか(聞かないか)を決定する賄賂を、合法化させている。

 どこでも見られる、物語は同じである。更なるお金、次第に少なくなる選択、次第に少なくなる自由なアクセス、より少ない会社。それ自身への崩壊そして内側から崩壊するためのこの商業傲慢を引き起こす、人々の態度の大きな変化をどの程度しなければならないのだろう?

権力争い

 この非常に集中した法人世界の最初の大きな欠点は、もちろん既に現れ始めている。過去数ヶ月の間にヘッドラインを何が飾っていたかによって。すなわち怪しい会計習慣が莫大な金を巻き込んでいる。これは、世界の一番権力のある国家の経済をも揺らぐに十分なものである。そして興奮状態の株式市場がこのニュースによって傾いた。彼らの持ち株がどこにも行かないが上昇したと思った、世界中の労働者の何万と小さい投資家の何百万もの消費によって。

 AOLTime Warnerの株価が、AOLとTime Warnerとの合併の時期の4分の1になった。そして、この値下がりが、今年の初めに会社に540億ドルの評価切り下げをすることを会社に強要した。そして現在この会計慣習について調査をしているところである。Vivendi Universalの場合もほぼ同じである、Disneyのシェアは8年近く下がっている。そして問題はどこでも類似しているという人々の心に、間違いはない。毎日の仕事のリアリティや人間の創造性の本質において完全に触れられないものになっている、どの大きなコングロマリット(複合企業)でも。

 付け加えると、人々もまた全て良くなると認識している。それはこれらの怪物多国籍企業を規制するときが来ても、政府に権力があったとしてもほとんど残っていない。政府は、順法な市民たちの普通の生活を規制するときは、多くの権力を持つ。そして彼らはこの権力を乱用する。私たちが何を聞き、見て、読み、食べ、飲み、買いそして世界の「自由」な市民としての一般的な経験、を全て持つコングロマリットをどれくらいコントロールしているかということから人々の注意をそらす為に。

 この権力を一番敏感に感じる世界の1つは、もちろんオンラインの世界である。この世界はいまだにその初期であり、ばらばらに広がる、無法の地域である。最近の10年間での指数関数的な発達がみんなを驚かせている。そして政府、大きなビジネス、そして個人の権利の間の権力を例証していない。ピアツーピアファイル共有や多くのディジタル変化の高度な物議をかもす議論よりもっと十分に。

泥棒国民?

 巨大なメディア及びテクノロジーは、最近の株式市場のスランプから立ち直ることができるのだろうか?彼らはおそらく立ち直るであろう。しかしどのくらいの費用で?おそらく、費用は、更なる「構造改革」、更なる解雇、更なる重役のシャッフル、そして金の天下りになるだろう。これは従業員と顧客から会社を更に引き離すことをも引き起こすものである。そしてこれは順番に、従業員と顧客が、違法を主張し刑法により罰せられることを望むという行為をさらに勇気付けるだろう。その間ずっと、彼らの所有していない資本をうっかりへまし続けているとして彼らの刑罰を逃れ続けるのである。

 Napstar は破産したかもしれない、そしてインターネットの短い歴史の中の終了したチャプターになる。しかしこの死は、反対にピアツーピア(P2P)ファイル共有の減少への影響を意味しない。どちらかといえば、ピアツーピアがさらに成長する。しかし、全体的に分散させることになり、その重要性を図ることは簡単ではない。

 何が確かなことか?しかしながら多くの反する主張に代わって、レコード産業はP2Pが実際、芸術的試みとしてそして商業的事業として、音楽製作に対する不利益であるという証拠を提供している。これは覚えておく価値がある。例えば音楽CDのセールスはNapstarが頂点であったとき実際増加した。そしてNapstarが突然閉鎖された後減少した。フィイル共有がレコード産業を傷つけているに違いないと思っているエコノミストでさえ、現在その疑惑を表現している。単純に何も起こってないと言っていることに基準をおいて。

 さらに重要なことは、多くのとても尊敬されているアーティストは、会社の貪欲に反してインターネットユーザーの側にいるということである。実際、彼らの音楽を配布することを促進する1つの方法としてインターネットを使い、本物の音楽を愛する本当の聴衆という魅了されていないものにたどり着く。

 もちろん全てのファイル共有が不快感を与えていない、という意味ではない。これは間違いない。人々がラジオの代わりにインターネットを使うとき、すなわち新しい音楽を見つけるために、インターネットはアーティストの音楽の促進を助けている。しかし中学生が、インターネットで音楽をダウンロードしてそれらをCD-Rにコピーして、校庭で5ドルで売ったら、それはオリジナルCDのセールスに痛手が出て、アーティストに対して失礼である。どんなに実際のCD価格をカットするかに関わらず、アーティストは実際、レコード産業の全ての重役と仲介人が取り分を取った後のものを受け取るのである。

 それでも、ディジタルテクノロジーが、もはや正確な芸術の価値を認識していない「泥棒国民」を作っていると言うことができるのだろうか?

製品保護

 始めに、レコーディング産業自身が芸術の正確な価値を認識することにより、価値を識別することから遠ざかっているということは意味がない。代わりに、首尾一貫して多くのアーティストから、ほとんどの基本的人権を奪うことを認めるために戦っている。これはポピュラーなアーティストに、彼らのアルバムがミリオンセールスであったとしても、破産することを認めているというものである。これはアルバムのセールスにより発生した実際の収入の途方もなく小さい部分に対する、アルバムセールス総計の、アーティストの取り分を減らしている。これは、首尾一貫して本当の音楽の芸術性を犠牲にして商業的な音楽製品を推進しているということである。

 レコーディング産業に、正確な芸術の価値を認識することについて誰かがレクチャーする権利を与えることは難しい。

 巨大産業の一番の関心事と思われている文化的な製品が、既に一番ポピュラーなものであるということ、そしてCDがコピー防止であるかないかに関わらずミリオンを売ると思われるCDのほとんどに、CDコピー防止が試験的に使用されている、ということを書き留めておくのもまた興味深い。

 多くの市民は本当に芸術の価値に対して失礼である。そしてアーティストの仕事に対して見合った報酬を与える必要性は?我々は前にも言ったがまた言う。デジタルテクノロジーとピアツーピアファイル共有の発達は、人々に本来備わっている芸術とアーティストに対する尊敬とほとんど関連がない。そして本物の芸術とアーティストに対する尊敬を犠牲にして、高利益製品という更なる商業的な首尾一貫した推進をするという、大きな産業コングロマリットの誠実さを疑う態度に全て関係している。

 たとえ人々が、人気テレビ番組の最新版やヒットポップソングのデジタルコピーを作れないことを十分犯罪だと感じなくても、それはまったくそのとおりです。なぜなら巨大産業は、彼らの実際の芸術的価値に対してほんのわずかなあるいは全く考慮せずに、ただ商業製品としてのコピー防止製品を作ることに成功しているからです。なぜならこれらの会社は首尾一貫して芸術的作業を犠牲にして商業製品を促進しているからだ。

 実際の芸術作業が、巨大な利益を運用している産業の欠点を通して浸透することで管理しているという事実は、産業を運営し続けているという基本的な平均化について何も変わらない。すなわち「芸術=金」、「アーティスト=金を作るもの(卵)」、「芸術を愛するもの=消費者」ということである。

 簡単な例として、どんなに少ない音楽も産業の形作る芸術としての価値がある。それはおよそ今まで録音された音楽の20%のみが現在手に入れられるものである。そしてこの20%のうち、何割が音楽愛好者にとって実際容易に手に入れられる割合であるか?何割がSoundScanチャートで現在トップ100のアルバムではないか?

 これは単純に、芸術の愛好者(音楽、TVショー、映画、その他の芸術)の本能的なリアクションを表現しているのである。もし産業が、芸術の真価がわかる人として彼らや彼らの個性を尊重しないと、結果、愛好者が、芸術の調達人として産業を尊敬する理由がなくなるのである。文化的な製品と呼ばれるデジタルコピーの作成によって、多くの人々は彼らの芸術やアーティストに対する尊敬がかけていることを明白にしない。しかし彼らは自覚してあるいはせずに、芸術製作者及び芸術愛好家両方を犠牲にして、芸術によるエンターテイメント産業の利益という方法で企業の失望を表現している。

 エンターテイメント産業の商業製品の消費者は、製品のダンピング、アーティストを利用すること、利益運用の選択と決定をすること、普通の人々が絶対に触れることができないものであるという不愉快な報酬と法的な刑罰を免れることについて彼ら自信の寛容さを供給すること、により故意にそれらを作っている産業と同様に誠実さを信用しないだけである。

真実を歪曲しないで

 これまで述べたように、ファイル共有とデジタル著作権侵害についての全討論は、ほとんどが、産業コングロマリットにとって彼らの隠されたビジネス習慣と疑わしい提携から注意をそらすための便利な方法である。

 例えば、Warner Music Groupは価値もないのに、著作権侵害に対するレコード産業の戦いにかなり巻き込まれている。しかし自身の親会社であるAOL Time Warnerはファイル共有から直接的な利益を受けている。これは世界的なインターネットユーザー何百万人のインターネットアクセスのプロバイダーとしてのものである。AOL Time Warnerは今まで増加したメンバーの数(3400万人)と彼らが過ごす莫大な時間を繰り返し誇示すると、レコーディングアーティストの損害でコンピューターファイルの不法な交換に関わっているという任意の疑いがある。

 言い換えると、本当の「泥棒」は必ずしも現在非難を受けているということではない。「泥棒国民」よりむしろ、現在の状況は、私たちにとって「泥棒のエリート」のようにも見える。

 この盗みの本当の犠牲者は、レコーディングアーティスト自身である。アーティストは、彼らが始め供給していた内容に基づく一部がこのAOLの利益であるとしても、インターネットアクセスプロバイダーとしてのAOLの利益を絶対にシェアすることができないからである。そして本当の犠牲者には、本物の音楽愛好者もまた含まれる。彼らは本当に利用したいと思っているのに、既に音楽の全範囲に制限されたアクセスについて、また技術的な制限についても困っている。これらは、彼らの楽しみのために正当に購入しているアートの合法的なコピーを作ることをもやがて防ぐことになるであろう。

 間違いをしないで、エンターテイメント産業(TV、映画音楽を含め)は大きくなるに違いない。しかしテクノロジー産業はさらに大きい。それはTime Warnerを買ったAOLであることを覚えておいてほしい。Sonyがレコードセールスよりエレクトロニックとコンピューターで更なる金を得ていることを覚えておく必要がある。

 もしテクノロジー産業が最後には、消費者が購入した法律上適正な楽しみを妨害するという技術的な制限を履行することになれば、それが行われる恐れのあると共に、利益を受ける人は、アートがこのように申し立てにより保護されているアーティストではなくなるだろう。そしてアートの楽しみがこのように制限された音楽愛好家でもない。利益を受けるのはそう、単純に産業コングロマリットである。彼らは、「技術的な改良」を装って、私たちに売るための非互換性のメディアとデバイスの他の型を持っているだろう。

結論

 テクノロジーとエンターテイメント産業は、一夜にしてどんな変化も期待することができるほど大きいものである。巨大産業は、彼ら自身の犯罪、利益の落ちることの攻めを追うこと、同時に著作権侵害の商業的失敗、(これは著作権侵害を可能にするという技術を採用することを顧客に奨励するというものである。)から人々の注意をそらすことを一生懸命続けるであろう。アーティストは、莫大な数のプリントで非現実的な約束と契約により誘い出され続けるであろう。

 しかしながら、莫大な数のアーティストが、芸術的そして営利的両方で、いいシステムを残すことが彼らの最大の関心事であるということを理解するのにどれくらいかかるのだろうか?若い莫大な数の芸術家志望の人々が、システムの奴隷になる性質に気づくようになり、そして最大の警戒なしでシステムに関わらないようになるにはどれくらいかかるのだろうか?そして莫大な数の芸術愛好家たちが、これらのアーティストに本物、価値のある、合法的な、芸術的に無関係なシステムが存在するというレンダリングの過程を終えるという正直で熱心な伝統にとらわれない観衆、を与えるために団結するようになるのにどのくらいかかるのだろうか?

 それは全てわれわれにかかっている、そしてあなたにも。

 
 
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